日本昔話 from 湯久保

吉田です。
以前のブログで紹介しましたが、私が住んでいる場所は南斜面の尾根の上にある、たった15世帯しか住んでいない集落です。そこでは鑾野大豆という地大豆を大切に育てたり、上下水道を自分たちで管理したり、夏には3匹獅子の奉納を行ったりと郷土カラー色濃く残る東京の山村集落なのです。

山から学ぶ

今年の春、我が湯久保集落では自治会館の建て替えを行いました。
もちろん材は檜原の木。檜原の製材屋さんが挽き、
設計はチェンソーズ青木の家を設計した東京都国立市の設計屋さん。
そして実際に建てたのはなんと湯久保自治会の中心メンバーお二人。

家って建てられるものなんですね。
上棟まではプロの大工さんにお願いしましたが、その後は全て自治会の二人にて数ヶ月で完成。
最近流行りのセルフビルドです。

湯久保 新自治会館

湯久保 新自治会館

素敵な木の自治会館ができ、今年の夏から獅子舞もこちらで奉納したりと大活躍。
設計屋さんが寒がりということもあり、断熱材もしっかり入っていて、冬の今でも外から自治会館に入ると木のぬくもりと温かみにほっこりします。

先日この新自治会館にてお祭りの打ち合わせを行いました。
年始に羽村市にお呼ばれして羽村ゆとろぎホールにて湯久保の3匹獅子を舞うことになったのでその段取りについての打ち合わせ。
参加したのは、祭世話人(自治会館を建てた人)、祭宮総代(最年長82歳ぐらい)、自治会長、笛の吹き手、鑾野大豆の育て親のおばあちゃんと祭副世話人の私。平均年齢優に70オーバー。

話も一段落すると冷蔵庫がビールが出てきて、みんなで語らいます。
最初は祭の話をしていたのですが、段々と檜原村の昔の林業の話になり、昔(架線集材以前のお話)は村の至る所に「木馬道(きんばみち)」が設置されていたとか。70代の方も木馬道が現在の都道近くまできていたことに驚いたり。どこどこのなんとかさんのお婿さんが木馬道から放り出されて亡くなったとか、とにかくこういう会合に出ると無数の名前が出て、ほぼ100%誰が誰だかわからなく、毎回関係を説明してくださるのですが、ほとんど覚えられない。。

自分にとってはその場にいる全員の話が昔話なわけですが、木馬道が今の都道近くのどこどこまでひかれていたかは80歳以上はわかっても70代にはわからないということもなんだか新鮮でした。木馬道で運んだ材は木炭車で町場まで運んだこともあったそうです。

すかさず「木炭車って何ですか??」と聞くと、

みんな揃って「なおきさん、木炭車知らないの!?」

知りませんって、普通!

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