郷土愛

二巡目を迎えました、吉田です。

今日は「郷土愛」とはなにかについて書いてみたいと思います。

なんで急に「郷土愛」なのかというと。。

奥多摩町にある小学校から道徳の事業の一環として「郷土愛」について話してもらえないかという依頼を会社が受け、なぜかこの私がお話しをすることになったため。というかたった今奥多摩で話をして事務所に戻ったとこであります。

話を進める前に簡単に私のプロフィールをご説明します。

生まれは東京杉並区。幼少期を荻窪界隈で過ごし、10歳の時に父親の仕事の関係でイギリスへ引っ越す。15歳に帰国するが、訳のわからない帰国子女を受け入れてくれる学校が少なく、調布にあるアメリカンスクールにて高校生活3年間をエンジョイした後、アメリカミネソタ州の大学へ進学。自分にとっての故郷はどこですか?と聞かれても一つに絞れないという状況。

そんな自分が郷土愛について話すことに違和感を覚えつつも、折角頂いた機会ですので、林業という仕事と檜原村湯久保という集落で生活するを切り口に郷土愛ってなんだろうとこの一週間考えてみました。

ネットで郷土愛と検索すると:

  • “住民が自らが育った地域に対して愛着ないし忠誠を抱く思想・心情”(出典:ウィキペディア)
  • 地域固有の生活環境の中で育まれた心性”(出典:世界大百科事典)

要は自分の故郷への愛着ということなんだろうけど、その愛着を「郷土愛」という形に起こすのはなんなのか。。

今週私用で自分が生まれた杉並区に行く機会がありました。自分が生まれ育った家の周りを少し散策してみて、どんな感情が芽生えるか試してみたところ、単純に「懐かしい」と感じた。これは「郷土愛」?と思って檜原村のお祭りを継承している人たち、村外に住んでいても消防団の活動には地元に戻ってきて参加する人たち、檜原の自然や生活様式が廃れないように努力している人たちと比べてみるとなにか違う。。この違いはなにか。

杉並区荻窪での生活は都市生活だったため、自治会や地域社会を通しての活動はほとんど無いに等しかった。そのため、自分は荻窪という物理的な場所に対してはノスタルジアを感じても、荻窪での地域コミュニティーに対しては特別な感情を持っていないのかなと。

悶々と考えた結果、「郷土愛」というものは地域社会・コミュニティーで培われる地域固有の言葉、伝統芸能、生活様式、自然環境などをその地に住んで取り組んでいく中で愛着を育み、どうにか次の世代へ継承していこうという思いであり、行動することなのでは。荻窪の自分の生活には無くて檜原村にあるのは、そういった地域社会、地域文化がある意味特有であり、継承する人が少なくなってきている現状を踏まえ、失ってはいけないという危機感を持ち合わせた人たちの努力の形なのかなと。

こう書いていくと前回のブログと同じ結論に至ってしまいました。

「次の世代へ繋げていく大切さ。」

でもやっぱそこでしょ。

 

とにかくその貴重な文化の一部に林業、湯久保での生活を通して少しでも関わらせてもらえることはとても幸せだなと思った次第でございます。

次回はもう少し違う結末になるようにしたいと思います。。

(吉田)

ps講演時の写真をアップしようと思いましたが、取り忘れましたm(_ _)m

コメント

  • Comments ( 2 )
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  1. 蛭田さん、

    コメント頂いていたのに返信できておらず大変申し訳ございません。

    私も伝承なんてことはまだまだまだできませんし、生きてるうちにできるのかもわかりませんが、
    林業や村での生活を通して人間の本質的なところってなんだろうとはいつも考えさせられます。

    蛭田さんの「何かあった時には自然と体の動く方向に行けばよい」という言葉、なんだか共感できる気がします。
    自分の直感みたいなもを信じて行動する大切さってありますよね。

    話は変わりますが、先週ぎっくり腰を現場でやってしまい、今現在現場に出れておりません。
    体は資本ですね。自分の管理ができていないようでは何をやってもダメだなと改めて思い知らされております。

    お互い怪我ないよう元気にいきたいものです。

    今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

    吉田

  2.  単にその土地を好きなだけは無く次の世代への継承という言葉に奥深さを感じました。
     ここまで達するにはかなりの苦悶と考えとがあったのでしょう。
     さて、私は大学卒業後、都内で仕事をしていましたが2度の胃炎で入院し、仕事もさながら、都会の、せっかちな住環境も原因だったのか?との結論にてその後、色々考えて四季が豊かな富山に住みました。
     結局そこに12年間いて特に雪が降る富山暮らしをエンジョイしていましたが反面、その間、会社の休みがある度に心底から、実家のあるやはり豊かな自然がある茨城に帰りたいと何故か自然に思うようになっていました。富山暮らしは楽しんで一見文句なかったのですがなんか心底の釣り針の返しに引っ掛かって取れない、茨城 の事を感じたんですよ。富山は確かに茨城より特に雪が降り自然のメリハリがあって黒部立山の大自然が近く又、飛騨高山や能登石川等の有名観光地や多くの温泉銭湯があって文句なく素晴らしい所でこれらに観光に行っている時には勿論、幸せを感じるのだけれど、富山と実家の茨城とを行き来した所、不思議と、富山に比べて知名度が低く観光地や温泉があまりない茨城にいる方が自然と落ち着くのです。この違いはもう、経験した者でしかわかりませんね、きっと。そこで、この、富山と茨城とにいる時の気持ちの違いを考えてみた結論が私にとっては「私が幼い頃から生まれ育った茨城は私の原点そのもの鮭に例えるならば生まれ育った川、であり、私が茨城にいる時が落ち着き・自然とここに戻りたくなる事はやはり鮭に例えると母川回帰の事」なんじゃないかと思いました。ふるさとはとおきにありておもうもの という句がありますしね。私の経験から、何かあった時には自然と体が動く方向に行けばその後は安泰だし無理して逆らうとその後は危険な目に遭う。今を以て不思議です。この間結婚し、13年目の真冬に妻の「富山をもっと楽しみたかったけれど老後の雪の心配があるから私は実家の地に戻りたい」との意見もあり2012年に茨城に戻って来ました。その後から現在に至るまで造園業で今の時期はほぼ毎日草刈りの日々を送っています。私は未だ吉田さんの様に、伝承とまでは行きませんがいずれ、ちょっとした事でもいいから茨城の魅力を伝えていけば良いかな?と思っています。
     貴社のページを見ていると私の仕事の励みになります。「今俺達が草刈っている山の向こうで貴社の方々は山の中で頑張っているんだなだから俺達も頑張ろう」と。
     それではお気をつけて・・・。

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