ケモノとヒト

獣:「全身に毛があり、四足歩行する動物。けだもの」(出典:Wikipedia)

けもの:「1.体毛のある動物。多くは哺乳類に属す。2.粗野で荒々しいことの比喩。そのような人。」(出典:Wikitionary)

みなさんは「 ケモノ」という響きにどのようなイメージを抱きますか?何を想像しますか?

私にとっては林業を始めるまでまったく縁の無い言葉でした。
都市生活をしていた自分の周りには「ケモノ」という概念は存在せず、全身に毛があり、四足歩行するものは動物園やペットの動物のみ。

8年ほど前から山に入るようになり、当時は社長の青木とも良く現場で一緒に間伐をしたり、歩道を作ったりしました。その頃は奥山の現場(現場まで片道1時間とか)が結構あり、奥に入れば入るほどヒトの存在は薄れ、ケモノの世界にいるなというのを感じることが多々あったのを思い出します。初めて「ケモノ」という言葉を聞いたのもそんな現場での一コマ。青木が何かの鳴き声を聞き、「ケモノだ」と一言。

その時の「ケモノ」という響きには野生の生き物としての存在をしっかり認めつつも、明らかに「ヒト」とは違う存在として一線を引いているという印象を受けたのを覚えています。

都市生活には無い感覚。
なんだかとても新鮮だったのを思い出します。

檜原村で林業をして生活しているとかなりの頻度で「ケモノ」達の存在に遭遇します。

下刈作業中にかなり近くまで接近してくるカモシカ、クマが爪を研ぐ為に傷つけたヒノキの大木、野ウサギに新芽の頭の部分を齧られた1年目のスギの苗木、暗くなってから自宅までの道中、目の前に飛び出してきて一瞬こちらと目を合わせ固まるシカ、車のライトに驚いて道に飛び出してきたけどどこへ逃げて良いかわからずオタオタするタヌキ、雨の日林道に迷い出てきて列を成して全速力で逃げるイノシシの一家、育てた作物を食い荒らしてしまうサルの親子などなど。

生活範囲に人間以外の動物の存在が常にある。
近くにあるからこそ、そこに一種の壁を設定するのかもしれません。

 

ケモノとヒトの境界線が曖昧になってきているという話を良く聞きます。
理由として良く挙げられるのは針葉樹を植え過ぎたからケモノ達の食べるドングリなどが減ったという説。
それも一理あるかもしれません。
お隣町のあきる野市フォレストレンジャーの方に聞いた話ですが、昨年の秋、クマの目撃情報が多かった理由は春先山桜の花の咲く頃に遅い雪が降り、サクラがほとんど実をつけなかったため里山まで降りてくるクマが多かったそうです。

その年その年により自然環境は変化していて、自然相手に短絡的な結論を出してはいかんなと思う今日この頃です。

ケモノとヒトの境界線問題で以前妙に納得したのは速水林業速水さんの記事をどこかで読んだ時でした。40年前は50万人の山仕事をする人たちが日々山に入っていた、現在は1/10の5万人弱。極端に少なくなった杣人の数、これが一番の理由では?

確かにそうかもしれません。

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