2017.10.18

熊楠が好き

先日、帰宅途中に流れていたラジオで、「むかしのお百姓さんは、田植えとか、草刈りとか、稲刈りとか、直接収穫につながることを『生業』といって、農閑期の耕しや、畝作り、籾殻を発酵させて肥料をつくることなんかは『仕事』と言ってたんだよ。つまり本当の『仕事』とは、自分の足下を踏み固めるための行為であって、食べるためにすることは『生業』なんだよ」という、リリーフランキーの言葉が紹介されていました(つまり又聞き)。含蓄に富んだ、仕事とはなにか考えさせられる言葉です。のっけから大仰なことを書いてますが、あのスケベ(そう)なオジサンが言ったらしい言葉なので、僕への異議は受け付けません。
盆明けから本格的な架線搬出が始まりました。索道を架設して、山から木材を運び出す。大掛かりな作業です。当社は初挑戦になります。最近の林業は大まかにいうと山に作業道を入れて重機で搬出する、車両(重機)を使った搬出が大きな流れになっています。ただ、地形が急峻で取り付けなかったり、距離があったり。もちろん、条件によっては架線搬出しか出来ない山もあります。
今回は、飯能に拠点を置くフォレスト萩原さんにご協力をいただき、一緒に作業させていただいています。林業歴40年超の親方の技術と段取りは、どれをとっても超一級品。豪快かつ繊細な仕事にはため息がでるばかりで、美しさまで感じます。毎日付いていくだけで精一杯。というか、正直に告白すると、ついていけません…。いまは索道を張り終えて、土場に木があふれた状態で、これから最盛期といった感じです。
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というわけで(!?)、前置きがかなり長くなりましたが夏休みに(妻子を残して)念願だった吉野・南紀を巡って来ました。延々と連なる山々と生物の濃密な気配、スケールの大きさは期待を裏切らず、圧倒されました。伊勢神宮~吉野(下多古村有林)~熊野~南方熊楠記念館。

日本最古の人工林・下多古村有林。約400年の間、持続可能性を保ちながら守られてきました。日本遺産に選ばれています。


舐めてかかると15分ほどでこのありさま。裏面もびっちり。デトックスと割り切ってたくさんご馳走してきました。山に入るときは長袖長ズボンを履きましょう!


伊勢神宮の式年遷宮、400年続く吉野林業。僕のアイドルである南方熊楠と熊野の世界。恥ずかしながら見学に訪れるまでは、遷宮について「最高級の材木をつかって、20年に一度作り替えるなんてもったいない」などと不遜にも思っていました。資料館で聞いた宮司の解説。「ご存知の通り法隆寺は木造最古の建物です。ただ、完成すると時間はそこで止まってしまいます。定期的に造り直すことは、古くて常に新しい状態を保つことです」という説明にはっとさせられました。
あくまでちょこっと垣間見ただけですが、今回の旅で共通して感じたことは、時間というのは必ずしも過去から未来へと直線的に、劣った状態から進歩へ向けて進むものではなく、四季が巡るように螺旋状に循環的に経過するものでもあるのかなということです。過去は未開で劣っていて、現在は常に優れた未来へと進んでいるのでしょうか。必ずしもそうとはいえない気がします。古くて新しい。日本最古の人工林も、循環型社会の最先端をいっているのかもしれません。
 

伊勢神宮外宮。お決まりの構図。


境内の巨木と自撮する人々。神々しい巨樹には不思議な魅力があります。


「エコロジー」という概念を日本ではじめて使った南方熊楠。いま生きていたらなんとおっしゃるでしょうか。記念館の植物園からは、あの神島が望めて感無量。


下道1200 キロ走って痛めた腰の調子がまだよくなりません。浮かした高速代以上に高くつきました。35歳になってもふらふら野宿しているのはいかがなものか??と独り、深い山の中で自問自答したりしましたが、決してお金に困っている訳ではなく、好きだからやっていることです。
最後に冒頭にもどって。今回の南紀巡礼はあくまで「仕事」です。いろいろ理由をつけて、家族から離れて息抜きに行った訳ではありません。あしからず。
(佐田)
 
 
 
 
 
 
 

この日記を書いた人

佐田 周平

佐田 周平

佐田 周平

1981年生まれ。大阪府高槻市出身。早稲田大学文学部卒。業界紙の記者として勤務後、一次産業で働きたいと思い、林業の世界へ。ロープワークやGISの技術習得に貪欲。樹木医。林業架線作業主任者。

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