2015.07.29
山から学ぶ
林業6年目吉田です。
今月の頭から始まった社員ブログ。
先月の月例会議にて、弊社広報部長木田より、
「来月から交代で社員ブログを始めます!」
「内容は各自にとっての -山のいま- を書いてください!」
というお達しがあり、正直慌てております。
なにせこの吉田、チェンソーズ恒例の新人ブログにおいて3回の投稿で
自然消滅するという「実績」を持っており、
社内ではそれをネタにしたりしていたのですが、まさかまたブログを書くことになるとは。。
そんな「前科」持ちですが、続けられるよう頑張りたいと思いますので、宜しくお願いします。
というわけで一回目。
今日は「山から学ぶ」というお題目にしてみたいと思います。
林業をしていると色々な意味で山に教わることが多いのですが、
その中でも「世代を超えて繋げていく大切さ」は林業関係者にとってある意味最大のテーマなのかもしれません。
ご存知の通り、林業はとてもスパンが長い産業です。
自分が植栽し、育てた苗木を商品として伐採するのは次の世代に託し、現在自分が伐採する木も先人から引き注がれた資産である。
林業とは世代を超えていかなくては成り立たない生業なのです。
そのような中で本日は林業に留まらず、山の生活の中で吉田が感じた「世代を超えて繋げていく大切さ」のエピソードをお伝えしたいと思います。
私が住む湯久保という檜原村の集落は都道から約2km離れており、最寄りのバス停まで徒歩30分、標高650m、南斜面の尾根上に存在し、現時点でおよそ15世帯が尾根地形に点在して住んでいます。村管理の上下水道は無く、一昨年の大雪では1週間下界と遮断され、都心の友人が遊びにくると「東京のマチュピチュ」なんて呼ぶ人もいますが、便利からは程遠い、陸の孤島の中の孤島です。
家族で移り住んで四年目ですが、一番感心しているのは皆が「当たり前のことを当たり前に淡々と行っている」という点。
どういうことかというと、
冬から春にかけて畑を耕し、苗を植え、春には五穀豊穣の祭りを行い、夏から収穫をし、また夏の終わりには3匹獅子の奉納をし子孫繁栄を祈願する。その間上水道の管理は自分たちで行い、なにか集落で問題が起これば集落の重鎮達を中心に自分たちで助け合い解決していく。そういった中で子供を授かり、育てていく。とてもシンプルなんだけど、人間の営みの本質を垣間見ることが多々あります。
そんな湯久保には「鑾野大豆(スズノダイズ)」という地大豆があります。湯久保に住む夫婦が若いころ、旦那さんが丁稚奉公で八王子へ行った際、一握りの大豆を頂き、それを夫婦で大事に大事にこの土地で育ててきました。現在では希少価値種だということが判明し、ジーンバンクにDNA登録もされている固有種です。
我が家も毎年苗を少し頂き、畑に植え育てているのですが、ある時なぜ大豆を毎年植えるのかという話になり、
お母さんが
「この大豆はね、お父さんが頂いてきた大事な大豆。だから毎年畑耕して、種撒いて、大事に大事に育てるんだよ。」
「育てなかったら種が絶えちゃうだろ。」
と教えてくれました。
「育てなかったら種が絶えちゃう」
考えてみれば当たり前のことですが、なんだか自分の中でストンと落ちる話でした。
世代を超えて繋げていくことの大切さ、
自分が都市生活から離れ、林業を始めたことの答えのようなものがその言葉の中にあるように感じたのです。
そう考えると林業も同じなのかなと思ったりします。なんで林業をやるのか?
もちろん生活の為でもあるわけだけど、次の世代に繋げていく、先人の手から続いている糸を絶やさないためなのかななんて思ってみたり。。
これが今年植えた鑾野大豆の苗です。
秋口にはまず枝豆として収穫し、湯がいて塩ふって、ビールと頂きます。
それから乾燥させて大豆として収穫する。楽しみです。
去年は大豆になる一歩手前で猿達にほとんど食べられてしまったという苦い思い出があるので、今年は猿対策を考えねば!
(吉田)
この日記を書いた人
吉田 尚樹
吉田 尚樹
1978年生まれ。東京都杉並区出身。マカレスター大学文化人類学部卒(アメリカ)。外資コンサルティング会社に8年勤務後、「社会と自分にとって意義のある仕事」を求め、林業に転職。一家で檜原村へ移住。現在二児のパパ。