東京チェンソーズは以下4つの考えを軸に、「森と街が共生する社会」の実現を目指します。

  • 「地球の幸せ」を目指し、最前線にいる小さな一企業として挑戦を続ける

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    東京チェンソーズを創業

    東京チェンソーズの創業は2006年のことです。

    それまで勤めていた檜原村の森林組合で林業のイロハを教わったのちに、「誇りを持って働ける労働環境を実現したい」、そして「新しい林業にチャレンジしたい」との想いで、仲間3人と創業しました。

    誇りを持って長く働くためには、やはりそれなりの待遇が必要です。当時で言うと月給制で社会保険もあって、賞与も出せる、そういう体制にしたかったです。

    こうした働きやすい職場環境づくりは今も続いていて、最近では「育休」もそうですし、テレワークもそうです。こうした柔軟な働き方、長く働くことができる会社にしたかったというのがまず第一にあります。

    もう一つ、「新しい林業」については、当時はまだ具体的なアイデアはなかったですが、現場での作業を中心に、いつかはものづくりをしたい、新しいサービスの提供をしたいと思っていました。そのとき大事に考えたのが、固定観念に縛られないこと。林業はこうだからこれはできない、といったふうには考えたくなかったです。そして、地域ため、社会のためであることはもちろんですが、事業として補助金にのみ頼るのではなく、利益を出すことを念頭に入れていました。

    これは、その後の「1本まるごと販売」の考え方や森デリバリー、東京美林倶楽部等の事業に繋がっています。

    そして「東京の木の下で 地球の幸せのために 山のいまを伝え 美しい森林を育み、活かし、届けます」という企業理念をつくりました。

    東京の森をフィールドに、地域にしっかりと根を張って仕事をする。林業は人の目に触れづらい環境で仕事をしているので、ホームページやブログ、SNS、各種イベントを通じて顔の見える情報発信を行い、東京の森林への興味関心を高める。

    そして、私たちがいつか扱うであろう木の製品を流域でつながる街の暮らしに届けることで、より良い暮らしの実現に貢献したいと夢見ました。

     

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    映画「植村直己物語」に衝撃を受けた少年時代

     

    そもそも自分自身、小さい頃から外で遊ぶのが大好きな子どもでした。生まれは大阪で、11歳までいたんですが、その頃は身近な自然だった近所のどぶ川や街外れの池、田んぼで、仲間とフナやナマズ、ドジョウ、ザリガニなんかを獲って、無邪気に遊んでいました。
    夏休みには母の実家である岩手県久慈市に行って、田んぼ一面に蛍が光っているような景色を見たり、きれいな海で遊んだりという経験もしました。 どちらがいいということもなく、どちらであっても、自然の中で遊ぶことが子どもながらに生きがいというか、自分にとっていちばん楽しい場所という思いがありました。

    その後12歳で千葉に引っ越し、中学・高校は千葉県船橋市の外れにあった森林や田畑を切り拓いて造られたニュータウンで暮らすことになりました。大阪よりも身近に豊かな自然が残されていて、毎週末のように釣りに出かけていたように思います。
    植村直己さんを知ったのはその頃です。
    テレビで放送していた映画「植村直己物語」を見たんですが、初めは何気なく見てたのが、途中から夢中になってしまって……。
    非常に影響を受けました。

    それからは拾ってきたマウンテンバイクを自分で修理して、房総半島を1周の自転車旅行をしたり、筑波山にも自転車で登ったり、行動の幅が大いに広がりました。
    その一方で、いつもタナゴを釣っていたニュータウンのはずれにある気持ちのいい小川に久しぶりに出かけたところ、コンクリートの用水路になっていてビックリしたこともありました。思えば、それが自分のなかで自然が破壊されたことを認識した初めての瞬間だったと思います。まだ中学生だったのでそこまでは考えてなかったかもしれませんが、自然はいつまでもあるものではないということを感じた瞬間でした。

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    探検部で国内外を巡った学生時代

    植村直己さんへの憧れもあって大学は探検部のあった東京農業大学を志望しました。植村さんは明治大学の山岳部でしたが、山だけではなく様々な自然の中で活動したいとの思いがあったからです。それに、農大なら自然のことも学べるかなという考えもありました。
    入試の結果はギリギリの補欠入学でした。が、探検部には入学式当日、部室へ直行し入部しました。

    探検部では週末や連休、夏休みなどを利用して、日本全国、北は北海道から南は与論島まで、登山や沢登り、川下り、ケイビングなど様々なフィールドに出かけました。1年目の春休みにはモンゴルの洞窟調査に行く先輩に同行。3年の時は現役だけでチームを組んで「モンゴル国洞窟探査」に副隊長として参加。4年になってからは卒論のため、再度モンゴルを訪れ1ヶ月ほど滞在しました。

    卒業後は就職せずに研究生として残り、1999年、現役の頃から準備が進められていた「メコン川源流航行踏査」に副隊長として参加。これは部の先輩方が発見したチベット高原にあるメコン川の源頭近くから、人跡未踏の空白地帯をゴムボートで調査をしながら下っていく計画でした。
    その準備ではスポンサーを探すため、色々な企業とのやりとりも経験。デジカメが出始めた頃だったので、提供をお願いしたり、食品メーカーから食料を提供してもらったり。中国の受け入れ機関との事前調整や通訳を雇ったりもしました。

    こうした準備や調整は、日本にいた時から半年以上の時間がかかっています。実際にメコンを下ったのは約20日間。
    そのゴールは源頭付近から560km下ったところにあった木材集積地でした。その先に巨大なダムが建設中だったのが印象に残っています。

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    「林業」の世界に飛び込む

    モンゴルやチベットの自然を体感したあと、改めて日本の自然を見直し、国土の約7割が豊かな森林に覆われていることが普通ではないことに気が付きました。そして、その森林の大半が人工林であり、木材価格の下落や「3K」と言われる労働環境などの理由で若い山林労働者がいなくなり、高齢化が進んでいることも知りました。

    これまで様々な自然でワクワクドキドキできた自分の人生を振り返り、日本の豊かな自然環境を後世に残せる仕事は林業ではないか、衰退しつつある林業界であれば自分の存在意義を示せるのではないかと考え、思い切って林業の世界に足を踏み入れました。

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    地球の幸せにどこまで貢献できるか、社員みんなで挑戦

    創業から来年(2026年)で20年を迎えます。

    いま、世界中でこの地球に暮らす人類と自然との関わり方について大きな関心が高まっています。国連が採択した持続可能な開発目標であるSDGsの達成やパリ協定の温室効果ガス削減、生物多様性戦略としてネイチャーポジティブの実現など、世界では2030年の各目標達成に向けて動き出しています。

    国土の約7割が森林に覆われ、先進国の中で世界第3位の森林率を誇る日本でも政府がそれぞれに対して目標設定をし、大企業を中心に様々なアプローチで貢献しようとしています。約1,400万人が暮らす大都市・東京も約4割が森林に覆われており、日本のみならず東京の役割にも注目が集まっています。

    弊社は、その課題解決の最前線にいる小さな一企業として、 森林を木材資源供給の場として「経済的」に捉えるだけでなく、カーボンニュートラルを目指し、生物多様性に富んだ森づくりをするなど環境面と両立させることで、持続可能な森林の経営に取り組んでいきます。

    「森をつくる」「森を届ける」「森を開く」「森のプロダクト」の4つの事業軸を連携させ、流域でつながるたくさんの人や企業の皆様の力を借りながら、森と街が共生できるライフスタイルを提案し続け、私たちが暮らす山村地域の心豊かな発展に努め、地球の幸せにどこまで貢献できるか、これからも社員みんなで挑戦していきます。
    そして、その挑戦をいっしょに楽しめる皆様とのご縁を心から楽しみにしています。

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    2025年6月1日
    株式会社東京チェンソーズ
    代表取締役 青木亮輔

  • 林業を楽しもう

    森に降った雨は地下水や川となって
    街を通り、海へ注ぎます。
    水の流れが森と街をつなぐように、
    私たちは林業を、森と暮らしをつなぐ仕事だと考えています。

    植え付けや間伐など、森での作業を軸に、
    伐り出した木材を加工し、製品を作り販売する。
    また、森の空間そのものを人が自然に囲まれ過ごせる場として活用するなど、
    林業という仕事の幅を広く捉えて事業を進めてきました。

    森と街の間を情報・技術・文化が自由に行き交い、
    それぞれが活かし合うことで、感性豊かな社会が持続していく。
    私たちはその可能性を信じ、
    暮らしの地続きにある林業を皆さんと一緒に取り組むことを提案します。

    身近な川辺に立って、上流のずっと先を眺めてみてください。
    そこにはきっと森があるはず。

    東京チェンソーズと林業を楽しもう。

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  • 概念図

    私たちは、固定概念にとらわれず多様なアプローチを用いて「森と街の共生」を目指す林業会社です。
    「森をつくる」、「森を届ける」、「森を開く」、「森のプロダクト」という4つの軸をベースに、
    都市と森がこれまでなかった取組みを共創し、社会実装していくことで目標の達成を目指します。

    森が持つ様々な機能・価値を最大化し、その恵みを街に届け、巻き込んでいく。
    そのために私たちは提供できるサービスを体系化し、
    みなさまのなかに存在する「森との接点」を抽出し、森に投資できる環境を整えていきます。

    林業会社である東京チェンソーズのサービス/プロダクトの選択は、直接的な森への還元に繋がります。

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  • 戦前、家や日用品、燃料に至るまで、生活に必要なものは山から供給されていました。木はとても大切に扱われ、家の土台、柱、梁、壁や造作などに使い、細い木は炭焼きの材料として、ふもとの街に出荷していました。丁寧に向いた皮は、捨てることなく屋根や壁の材料として使いました。最後に山に残されていた細い枝などは、生活の煮炊きのために拾って持ち帰っていたため、山はいつもきれいだったそうです。

    しかし、戦後になると復興の建築需要に応えるために、山で伐採した木は、機械を使って大規模に搬出するようになりました。建築用の木材は効率化を目的に規格化され、規格に合わない材料は少しずつ山に置いていかれるようになりました。生活様式も電気やガスなどの普及に伴い、炭や薪は必要なくなり、山には不要な木が残されるようになりました。

    私たち東京チェンソーズは、東京の森で木を植え、育て、伐採して街に届けることを生業としています。このような状況の中で、より美しい山づくりを目指すひとつの手段として、規格化の流れの中で取り残されてしまった素材を見つめ直す試みを始めました。

    根っこから葉先まで、1本の木から取れる素材はどれも個性的。形はもちろん、香りや木目の表情も同じものは2つとありません。「1本まるごと販売」が、森と人の暮らしを再び繋ぎ直すきっかけになると考えています。

    一本まるごと
    一本まるごと
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