まるごと山開きトーク「森と信仰」(ゲスト/簗田寺・齋藤紘良さん)
「個人の印象かも知れませんが、信仰と聞くとまず、怪しさが出てくるんですよね。でも、見方を変えて考えてみると、信仰は至る所にあるものなんです」と簗田寺の齋藤紘良さん。
「母方の実家がお寺なんですよ」と東京チェンソーズ・吉田。
事後アンケートで熱い感想を多数いただいた「山開き」の最終プログラム。
齋藤さんをゲストに迎えたトークセッション「森と信仰」を今回は振り返ります!
齋藤紘良さんプロフィール:
2005年 学校法人 正和学園 町田自然幼稚園主事、2006年 町田自然幼稚園事務長、2008年 社会福祉法人 東香会 しぜんの国保育園副園長、2011年 しぜんの国保育園園長、2018年 渋谷東しぜんの国こども園園長、2024年 成瀬くりの家保育園園長を経験。2017年6月より社会福祉法人 東香会 理事長に就任。
専門は子どもが育ち暮らし老いて死んで次に向かうための環境や文化を考えること。福祉施設の運営、500年間続く祭りの創造、寺院の再興、映像番組などへの楽曲提供、そして雑貨と電子楽器を駆使したパフォーマンスなどを行なっている。発表音源に『narrative songs』(CD,spotify etc.)、著書に『すべて、こども中心。』(KADOKAWA)などがある。チルドレンズミュージックバンドCOINNメンバー、全国私立保育連盟研究企画委員、和光高校非常勤講師(〜2023年)、大妻女子大学講師(2023年〜)
(東香会ホームページから)
スタートは、森の中で坐禅
前回レポートの終盤でお伝えしたとおり、トークパートは本編突入前に、参加者全員で坐禅を体験することから始まりました。
「坐禅はどこでもできるのが特徴です。坐禅の<坐>は、座るという意味の“座”の“まだれ”がない字です。つまり屋根のないところでもできるということが由来の1つなんです」と、齋藤さん。
ということは、森で行う坐禅はその由来にかなって、相性がピッタリなようです。
「まず足を組んで、次に右手を下にして、手も組んでいきます」と、正面でお手本を見せてくれる齋藤さんに倣いながら、参加者も足を組み、手を組み形をつくっていきます。
「坐禅では足と手を組むことで、ある意味”不自由な状態をつくるんです。手も足も動かせない状態になると、心が動くんです。その〈動いている心の変化に向き合っていく〉、これが坐禅なんです」(齋藤さん)。
身体が固くうまく手足が組めないこと、今日食べたお昼ご飯のこと、この後残っている仕事のこと…いろいろと雑念が思い浮かんできてもそのままにしておくことで、次第になくなり、何も考えない時間が生まれてくるそうです。
15分間の坐禅。それぞれがそれぞれの心の動きに向き合う時間が流れました…
50人以上が集まった会場でしたが、皆が一斉に坐禅を始めると、〈しん〉として、聞こえてくるのは鳥の声ばかり。隣の人の気配や、ちょっとした風の動き、どこかで何かが動いた音など、普段意識しないことまでが濃厚に感じられました。
「自分が動けないからか、鳥の声や森の匂いなど、周りのものがどんどん入ってきました」と吉田も言います。
自分が不自由になることで、周りに意識が向くようです。
「そういう感覚は僕も同じ。身体を縛って不自由になるということはすごく大事な感覚なんです」と齋藤さんが続けます。
「僕たちは、自分たちが自由だと思い込んでいて、なんでもできるという前提で動くことが多いですが、そうすると悩みが一向に減らないんですよ」と。
つまり、できると思っているのに、1人では何もできない。それがあれこれ悩んでしまう原因になっているそうです。
「お寺を運営していると、できないことばかりです。そんな時、周りに意識を向けて見てみれば自分ができないことをできる人がいる。その人たちと一緒にやることで開けていくことがあります」と話します。
不自由を知り、できないことを知ることが心を開き、世界が開く。わずか15分間の座禅体験でしたが、新たな気づきを得ることができました。
〈森と信仰〉というテーマに込めたこと
トークはまず、吉田が〈森と信仰〉というテーマについて話しました。
「東京チェンソーズは森と街をどう繋げていくかを常々考えている会社でして、それを実現するには、皆さんが生活の中で主体的に森に関われるものをつくっていく必要がある…とは分かっているんですが、それがなかなか難しくてですね…。そんな中、今回の山開きの企画を考える段階で、突然〈信仰〉という言葉が出てきました」。
信仰という言葉は宗教的な文脈で使われることが多い言葉ですが、吉田はそれを〈心の拠り所〉と読み解きました。
「参加した人たちが、自分にとっての拠り所は何なのか、それが森とどういう関係性があるか、それを一緒に考えることが、森と街、人の生活との繋がりを実現する、あるいは両者の距離感を縮めることになるのではと思いました」。
お寺は山と人の暮らしを繋ぐ〈あいだ〉の存在
吉田:「森と信仰」というテーマを聞いたときの最初の印象と、お寺との関係性をまずお聞きしたいです。
斎藤:個人の印象かも知れませんが、信仰と聞くと怪しさが出てくるんですよね。なぜだろうと考えると、それはやはり<騙される>みたいな話題が多いからなんですけど、少し考え方を変えてみると、例えば好きなアイドルやアーティストに対する〈推し活〉も信仰で、となると、アイドルと自分を結ぶ〈信仰〉というものを〈道〉と考えていいのかなと。
確かに、あまり良くないイメージで語られることも多い言葉ですが、〈道〉と捉えると分かりやすく、また親しみやすくも感じます。
齋藤:本来、道は人それぞれがつくっていくものですが、その中にひとつ太い道があって、それが〈信仰〉と呼ばれるものなのかと思いました。
森に当てはめてみると、自分たちでコントロールできない自然、森に対して、みんなで道をつくっていくこと、それが〈森と信仰〉なのかなと。そしてその、森と里の〈あいだ〉にお寺があると感じました。
吉田:お寺がゲートウェイというか、〈あいだ〉にあるというお話は打ち合わせの時にもされてましたよね。
齋藤:そうなんです。簗田寺も東向山簗田寺といいますし、都内のお寺でも名前に〈山〉が付くところが多いですね。お寺は〈山の入り口〉と考えられていたんですね。
吉田:その概念は知らなかったです。うちの母方の実家がお寺なんですが、確かに〈〜山〉と言います。
山があって、里があって、その間にお寺があるという関係性に、私たち東京チェンソーズがやろうとしている〈森と街をどう繋げるか〉ということとの親和性を感じます。
ただ、元々は〈里〉という中間を介して繋がっていたんですが、里山環境がなくなりつつある今は〈森と街を繋げる〉といきなり言っても伝わりにくくなっています。
森と人の暮らしをどう繋げていくか
ここで話に上がった〈あいだ〉という言葉。このトーク全体に関わるキーワードとなるので少し説明します。
ここでいう〈あいだ〉とは、まずひとつは物理的なもので、ふたつのものに挟まれた部分・空間、時間の間(ま)のこと。例えば“森と里の〈あいだ〉にお寺がある”とは、“森と里の中間地点にお寺がある”ということ。
もうひとつ、心理的な意味も持たせていて、“森と里を結ぶもの(媒体、Medium)としてお寺がある”という意味合いでも使っています。
ここまでを少しまとめてみると、
・森(山)と里の〈あいだ〉にあるのがお寺。
・里から〈信仰〉という〈道〉がお寺に向かって伸びている。
・お寺は〈森・山の入り口〉。
・東京チェンソーズは〈森と街を繋げる〉ことを目指し事業を進めている。
・しかし、〈里〉という文化・概念が都市生活から消えつつあることで、元々あった森と街の繋がりが見えづらくなっている。
〈森と街を繋げる〉ためにまずやることは、見えづらくなった〈元々あった繋がり〉が再び見えるようにすること。そのヒントとなりそうなのが、齋藤さんが取り組む【YATOプロジェクト】です。
※【YATOプロジェクト】:YATOとは、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形とその土地に根差す農業や生態系を含めたものを指す「谷戸」のこと。「お寺の周りに広がる谷戸の景色を残したい」という齋藤さんの想いを起点に、様々な人を巻き込んで展開しているのが【YATOプロジェクト】です。詳しくはこちらをご覧ください。
東京チェンソーズはこのプロジェクトを契機に簗田寺との関係を持つことになりました。
吉田:齋藤さんが取り組む【YATOプロジェクト】は、森と里、街を再び繋ぎ直す意味を持つ活動なのかなと思いますが、そこにはどのような工夫があるのでしょうか?
齋藤:プロジェクトで山の手入れをしていますが、そこでちょっと林業じみたことをしてみるとか、ここから先は街、ここから先は山というような両者の境界をはっきりとさせないようにしています。
吉田:その〈境界をはっきりさせない〉ということが大切だし、それをつくろうとアクションを起こしていくことが大事なんですね、きっと。
境界を曖昧にすることで溝を埋めていくーー確かにその方が行き来しやすいように思います。
【YATOプロジェクト】では森の手入れをするにあたり、林業の専門家とアマチュアで区別せず、「たまたま近くに森があるから」という感覚で、やれる範囲で自分で木を伐ったり、道をつくっているそうです。
〈あいだ〉にある境界をなくし、グラデーションで繋げていくーーこうした考え方は山村である檜原村での暮らしに通じるものがあります。
吉田:僕は檜原に来て15年くらいなんですけど、村の方は基本的に何でも自分でやるんですよ。山に道もつくる、沢から水を引いてくる、雪が降ったら雪かきする、家をつくるのもそうです。昔は日本中どこでも当たり前だったことが、全部サービス化されて、お金を払ってそのサービスを買うということが当たり前になってきた、そんな今の社会の中で、檜原村の〈何でも自分でやる〉暮らし方はとても新鮮に感じるんです。
限定しない、区別しない、境界を作らないーーそんな〈あいだ〉が曖昧な檜原村の暮らし方。林業を一例にしても、それを専業でやっていた人はかなり少数で、ほとんどの人が畑で農作業もするし、山に行って木を伐り、出してくる、そんな暮らし方をしていました。
齋藤さんが話す【YATOプロジェクト】、また、檜原村の暮らし方こそ、森が持つ価値観の1つといえそうだし、また、森と人の暮らしを隔てるギャップを埋める方法のヒントになりそうです。
【山開き】は森と街の〈あいだ〉にあるハードルを越えるひとつ仮説、試み、実験である
今回のテーマを考える中で、吉田は〈山水画〉について述べる文章に出会ったといいます。それによると、山水画における山の捉え方は4つの階層に分かれるそうです。
1.山を眺める
2.山へ行く
3.山で暮らす
4.山で死ぬ
吉田:めちゃくちゃ面白いなと思いました。僕たちが東京チェンソーズが目指しているのは、森をどう主体的に捉えてもらうかっていうことですが、そこに合わせて考えてみると、皆さん、森を〈眺める〉まではできると思うんです。でも、そこから〈行く〉、〈暮らす〉までにはハードルがあるんですよね。答えはないですけれど、森と街、人との間にあるハードルをどう超えていくかというのが、さっきの〈里〉がなくなってきたという話にも通じて、僕たちが今後考えていくことだなと思っています。
東京チェンソーズがその方法になるのではと考えたひとつの仮説・試み・実験が【東京チェンソーズのまるごと山開き】です。
〈眺める〉だけでなく、〈行く〉機会をつくる【山開き】は森への道であり、もしかしたら信仰であり、拠り所であるのかもしれません。
【山開き】は今後ももちろん、続けていきます。
次回も〈行ってみたい〉と思ってもらえる、おっと驚くような企画を立てます。
ぜひ、【山開き】に参加して、森との接点を見つけ、森を自分ごと化するきっかけを見つけていただければと思います!
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トークの前に行った”森のヘンテコ素材”の見学や森歩きについては、こちらのレポートをお読みください。
おわりに〜 〈森づくり〉の概念を広げた簗田寺との取り組み〜
【YATOプロジェクト】を契機に関係を持ち始めた東京チェンソーズと簗田寺。
当時を振り返り吉田は、
「最初にお声がけいただいたのは4年〜5年前です。それからは一緒に谷戸の森の利用について考えてきましたが、僕自身も森の概念が広がっていく感覚がありました」と話します。
東京チェンソーズでは創業以来、「森づくり」を事業の中心に置いてきましたが、その対象となる森は、檜原村を含む東京・西多摩地域に広がる、主に針葉樹からなる森林のことでした。
しかし、この取り組みを経て、それまで持っていた森=山という概念が、実はそれだけではないと広がったのです。
「それまでは、面積が広くて深い森以外は森ではないと感じていましたが、お寺が保有する森や里山なども、きちんと森として存在するためにどう活かしていくかを考えるべきだなと考え始めました」。
最近は学校や病院などで、敷地内の森をどうメンテナンスし活用していくかというお話をいただくことが増えました。その先駆けとなったのが簗田寺、【YATOプロジェクト】での取り組みです。
文:阿部真弥・木田正人
写真:キッチンミノル