2015.10.10

郷土愛

二巡目を迎えました、吉田です。
今日は「郷土愛」とはなにかについて書いてみたいと思います。
なんで急に「郷土愛」なのかというと。。
奥多摩町にある小学校から道徳の事業の一環として「郷土愛」について話してもらえないかという依頼を会社が受け、なぜかこの私がお話しをすることになったため。というかたった今奥多摩で話をして事務所に戻ったとこであります。
話を進める前に簡単に私のプロフィールをご説明します。
生まれは東京杉並区。幼少期を荻窪界隈で過ごし、10歳の時に父親の仕事の関係でイギリスへ引っ越す。15歳に帰国するが、訳のわからない帰国子女を受け入れてくれる学校が少なく、調布にあるアメリカンスクールにて高校生活3年間をエンジョイした後、アメリカミネソタ州の大学へ進学。自分にとっての故郷はどこですか?と聞かれても一つに絞れないという状況。
そんな自分が郷土愛について話すことに違和感を覚えつつも、折角頂いた機会ですので、林業という仕事と檜原村湯久保という集落で生活するを切り口に郷土愛ってなんだろうとこの一週間考えてみました。
ネットで郷土愛と検索すると:

  • “住民が自らが育った地域に対して愛着ないし忠誠を抱く思想・心情”(出典:ウィキペディア)
  • 地域固有の生活環境の中で育まれた心性”(出典:世界大百科事典)

要は自分の故郷への愛着ということなんだろうけど、その愛着を「郷土愛」という形に起こすのはなんなのか。。
今週私用で自分が生まれた杉並区に行く機会がありました。自分が生まれ育った家の周りを少し散策してみて、どんな感情が芽生えるか試してみたところ、単純に「懐かしい」と感じた。これは「郷土愛」?と思って檜原村のお祭りを継承している人たち、村外に住んでいても消防団の活動には地元に戻ってきて参加する人たち、檜原の自然や生活様式が廃れないように努力している人たちと比べてみるとなにか違う。。この違いはなにか。
杉並区荻窪での生活は都市生活だったため、自治会や地域社会を通しての活動はほとんど無いに等しかった。そのため、自分は荻窪という物理的な場所に対してはノスタルジアを感じても、荻窪での地域コミュニティーに対しては特別な感情を持っていないのかなと。
悶々と考えた結果、「郷土愛」というものは地域社会・コミュニティーで培われる地域固有の言葉、伝統芸能、生活様式、自然環境などをその地に住んで取り組んでいく中で愛着を育み、どうにか次の世代へ継承していこうという思いであり、行動することなのでは。荻窪の自分の生活には無くて檜原村にあるのは、そういった地域社会、地域文化がある意味特有であり、継承する人が少なくなってきている現状を踏まえ、失ってはいけないという危機感を持ち合わせた人たちの努力の形なのかなと。
こう書いていくと前回のブログと同じ結論に至ってしまいました。
「次の世代へ繋げていく大切さ。」
でもやっぱそこでしょ。
 
とにかくその貴重な文化の一部に林業、湯久保での生活を通して少しでも関わらせてもらえることはとても幸せだなと思った次第でございます。
次回はもう少し違う結末になるようにしたいと思います。。
(吉田)
ps講演時の写真をアップしようと思いましたが、取り忘れましたm(_ _)m

この日記を書いた人

吉田 尚樹

吉田 尚樹

1978年生まれ。東京都杉並区出身。マカレスター大学文化人類学部卒(アメリカ)。外資コンサルティング会社に8年勤務後、「社会と自分にとって意義のある仕事」を求め、林業に転職。一家で檜原村へ移住。現在二児のパパ。

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