2018.11.28

多摩川(の話)はつづく

幾多の探検家の挑戦をはばみ、人類に残された数少ない地理的空白地帯であり続けた東チベット・ツアンポー川。
ヒマラヤ山脈東端に端を発するアジア有数の大河は、急峻な山脈に囲まれているため、19世紀後半に至るまで全容が解明されず、その川が一体どこに流れこんでいるのか不明だったといいます。当時、探検スパイとしてイギリス人測量士に雇われたキントゥプは単身、未知の渓谷に潜入し、この川がどこへ繋がっているのか解明を試みました。途中、奴隷として売り飛ばされるといったトラブルを経験しながらもなんとか上流までたどり着いた彼は、斧で木を伐り500本もの丸太を川に流し、この川がアッサムへと流れ着くことを証明しようと試みました。が、時すでに遅し。下流で確認するはずの測量士は病でインドを発った後であった。角幡唯介氏の名著「空白の5マイル」に登場する印象的なエピソードです。
転じて、多摩川。
山深い多摩山地を源流に抱き、世界有数の大都会・東京を貫くこの河川は、周辺で生活する人々にとって、あまりにも身近でありすぎるため、特に気に留める存在ではないといえるかもしれません。「森と海はつながっています」「山が荒れると川も荒れます」「昔は木材を川をつかって流しました」等々。我々、林業従事者は一般の方に向けてよくこういった説明をします。ただ、本当に多摩川は羽田へと繋がっているのだろうか?、もしかしたら相模湾へとたどり着くのではないだろうか? いまではグーグルアースで衛星画像が容易に見れます。でも、自分で下って確認したことはありません。知っているつもりの多摩川はどんな川なんだろう。この“心理的”空白地帯の全容を解明すべく、立ち上がったメンバー3人(+1人)。壮大なロマンを胸に、幾多の困難にも挫けず…。
前置きがかなり長くなりました。
前回(木田)、前々回(森)のブログにもあった通り、9月の連休、(社長を含む)酔狂な林業関係メンバーで多摩川を下りました。3日間。

源流域の少し落ち着いた箇所。急流で写真撮影する余裕はなかった

台風後の増水した秋川・檜原村役場から川崎まで。あれ?羽田沖じゃないの??とお気付きの方もいるかもしれませんが、その辺は後ほど。檜原、あきる野までの源流域はホワイトウォーター有りの急流で、「泳げない川怖い」の僕には、相当な試練でありました。途中、メンバーの携帯が流されたり、沈没したり。鮎釣りのおじさんに睨まれたり。丸1日かけて檜原から秋川サマーランド付近まで。車だと30分かからない距離です。夜は毎晩、河原でキャンプ。毎夜、いろんなメンバーが変わりばんこで登場する宴会でした。

夜の作戦会議

汚いだとか、タマゾンとか揶揄される多摩川ですが、下ってみると印象は一変します。下流、汽水域あたりまでは驚くほど水はキレイに透き通っています。二子玉川あたりでも十分泳げるレベル。一説によると、最近の水質検査では四万十川と変わらないとか。ただ、中流域以降の水は下水処理されて浄化された水がほとんどをしめるので、考え方次第といったところかもしれません。

下流まで驚くほどの透明度。飲めと言われれば飲めます。(言われれば)

一番印象的だったのは、川と街が分断されているように見えたこと。頻繁に現れる堰堤や生い茂った河原の樹林帯によって、心理的にも物理的にも周辺住民から川が遠くなっているように思えました。かくいう私も、多摩川近辺に住んでいますが近場の河原に降りたことがありません。川はどこかで高い橋から眺めるものといった存在です。これからは、もっと子どもたちを連れて川に親しんでみよう。足元に意外なオアシスがあった感じです。
最終的には、流れが弱まる汽水域で向かい風に苦戦して(時速1キロ!)海までたどり着けませんでした。従って、本当に多摩川が海まで繋がっているかは不明です。勇気をだして、(少し臭う)川崎付近の水を舐めてみましたが、まだしょっぱくはなかった。でも、謎を残したまま終わるのも探検の醍醐味かもしれません。残りは来年に持ち越しです。

推進力を軽視したタイヤチューブ艇。今回の敗因と言えないこともない

 

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