思 和人インタビュー

チェンソーズ一番のベテラン! 理想を追う、優しきバックパッカー

 

 

 

 

 

思 和人(林業事業部)。1977年大阪府生まれ。三重、和歌山、山梨で約20年の林業経験を積んだのち、2019年に経験者枠で入社。現在、現場は育林・造林とひと通りあるが、伐採・搬出が好き。伐った木をどうやって売って行くのか、考えるのがおもしろいと話す。




林業を始めたきっかけは「NHKスペシャル」と「木を植えた男」

―今やってる仕事について教えてください。

檜原村の現場で伐採・搬出をやってます。

搬出した丸太は、原木市場に出したり、社内の販売事業部に出したり。市場に出すのか、販売に出すのかは、販売の担当者が現場に来て、実物を見て決めてます。自分でも、先に木を見て、販売に使えそうかなど考えてできるのでおもしろいです。

―現場は何人体制で動いてるんですか?

2人か3人が多いですね。作業的には3人がベストだと思ってますが、今は人手が足りないので2人プラス重機でやってます。

―これまで今年はどんな現場がありました?

春は植え付け。針葉樹と広葉樹、2つの現場がありました。その後、シカ柵設置。夏は下刈りを10月ごろまでやって、その後は、伐採・搬出が何か所か続いてます。

―公共の仕事が多いですか?

会社全体では6:4くらいですが、僕の担当する現場は5分の4くらいが公共の仕事と多めになってます。伐採・搬出は民間企業の山林の仕事も結構あります。

―ところで、出身はどちらですか?

生まれは大阪ですが、その後引っ越して中学生までは三重県。「WOOD JOB」の撮影をした美杉村です(現・津市)。

―そもそも林業を始めたきっかけを教えてください。

ほんと小さい頃は林業をやると思ってなかったんですけど、中1でNHKスペシャルと「木を植えた男」というアニメーションを観たのがきっかけです。

―NHKスペシャルはどんな内容だったんですか?

地球温暖化問題。中学生で何も知らないので鵜呑みにしてたんですが、もう地球はやばいよ〜と煽るような内容でした…

それで、知り合いの山で除伐体験があったので参加したんです。やってみて、おもしろいなと思いました。

―自然への関心はあったんですか?

地球の自然ということでは興味ありますが、山の幸みたいなのにはあまりないかもですね、今も(笑)。山菜とかタケノコ、タラノメとか好きな人多いけど、あまりその辺は興味ないです…

―好きそうなイメージありますが…

いや〜、スギとかヒノキとか自分が扱う木以外は実は植物の名前も詳しくないです。鳥の名前も知らないし…

でも、やってみたら身体使う仕事は性に合ってて、長く続けられてるという感じです。

―始めたのはいつですか?

中学卒業後の15歳で始めました。仕事は一人親方のところで搬出間伐ですね。今とあまり変わらない…。植林も枝打ちもやりました。そこは同じ年代の人が結構いて、おもしろかったですよ。5年〜6年はその会社にいました。

1年半のバックパッカー旅で日本の自然の豊かさを再認識、そして再び林業へ

―その後どうしたんですか?

二十歳くらいになって海外行ったんです。農場の仕事をしました。そこで、海外にハマるんです。

帰国後、バックパッカーやろうと思って、建築業とか割のいいところで働いてお金貯めました。120万〜130万貯まったところで、旅に出たんです。1年半、ほぼアジアです。

―ひたすら旅してたんですか?

そうですね、ユーラシア大陸を陸路で横断したいと思ってたんです。世界遺産を見たり、観光地行ったり…。でも、旅が長すぎたんでしょうね。最後、エジプト行って、ピラミッド見ても全然感動しなくて…(笑)ああ、もう帰って働こうかなと思いました。

―それはいくつの時ですか?

25歳くらい。

―長い旅で何か気持ちとか価値観が変わるとかあったんですか?

ありますね。ヨルダンやイスラエルへ行って、宗教や考え方の違い、人の生死だとか、何かいろいろ…。日本で報道されてるのとは全然違うんだなと思いました。

―旅から帰国して、再び林業に就きますが、なぜまた林業だったんですか?

中国に行った時に思ったんですが、山こそあるけど日本みたいな木がないなと…。旅をして、日本の自然の豊かさを改めて感じました。ヨーロッパとか、北欧に行ってたら違ったと思うんですが…

それで、26歳で帰国して、和歌山の森林組合へ入りました。緑の雇用が始まった2年目だったのかな。緑の雇用の2期生です。

―そこではどんな仕事を?

そこは育林だけだったんです。林業は育林も大事だけど、木を使うことが本質だと思うところもあって。3年くらいで転職し、山梨で伐採・搬出の仕事をしました。

木の「出口」を求め、東京チェンソーズへ

―チェンソーズへはどういう経緯で?

山梨の会社は12年くらいいましたが、いろいろ考えて、1回は自分の力を試したい、独立してやってみたいと思ったんです。それで、紹介されて和歌山で備長炭の請負の仕事をしたんですよ、個人事業主で。ちょうど40歳の頃です。

備長炭の請負仕事は、経済学的に言うとブルーオーシャンなんです。老齢化で木を伐る人がいなくて、自分のように伐採できる人がいなかったので引く手数多で、自分の強みが活かせるところでした。

―おもしろい。

ただ、1か月やってみて、ここにも限界があるなと。普通の会社員より給料もいいんですが、現場の仕事は上限あるじゃないですか。備長炭は売れるんですが、それだけやってていいのかという疑問もあって…

―で、チェンソーズを見にきた。

そうです。炭焼きの仕事を休んで見学に来ました。

―どうでした?

“1本まるごとカタログ”を見て、こういう使い方もあるんだと驚きました! ”木の出口”をきっちり考えてるなと思いました。

―もう少し詳しく言うと…?

個人的には林業界には全体で課題が2つあると思ってるんです。ひとつは出口。例えば、丸太を生産し原木市場で販売するだけだと、価格が決まってしまってるんで、林業はそれ以上良くならないと思ってるんです。いくら生産性をあげようと頑張っても、限界があるじゃないですか。

もう一つはビジネス思考。搬出量は大事だけど、売り方や使い方を工夫する必要があるんじゃないかと。

ー1本まるごとは、その2つを備えていたということですか?

そう思いました。

自分たちで計画して山づくりをしていきたい

―実際、現場で働き始めてどうですか?

切り捨て間伐の現場を担当した時なんかは、1時間歩いたこともありましたね。そんなに歩くんだと…

前の会社では、林道や作業道があって、重機や軽のバンが現場に横付けできるところがほとんどでした。

―今の現場体制はどうなってるんですか?

現場ごとに班が組まれ、リーダーが振り分けられます。

リーダーは現場のスケジュール決めたり、搬出だったらどんな機械をどこから借りるか、その期間どうするかなど。見積りはマネージャーの飯塚さんが作るので、それを確認したり。工数の把握はしてます。

―チェンソーズに入ってみての印象はどうですか?

いろんなことが言えて、聞いてもらえる雰囲気がありますね。あと、道具、モノが多いです。以前の会社では、刈り払い機は1人1台じゃなかったですし。

―なるほど、いろいろ違うんですね。

正直、給料は少し下がったんですけど、1本まるごとみたいのがやれるならいいなと思いました。出してきた木をどう使うかに興味あるんですよ。この木、どこに使えそうかなと考えるのがおもしいですね。

―チェンソーズのいいところって何だと思います?

福利厚生をちゃんとやろうとしてる。残業代とか、有休とか…

有休は取りやすい雰囲気があっていいですね。

―どういう人が向いてると思いますか?

協調性ある人ですかね。前と比べない、前はこうだったとか言わない。郷に入れば郷に従えじゃないですけど…。

でも、言う必要があるときはしっかり言いますけどね(笑)

―そういう提案は必要。

バランスですね。いろんな考え方があることを尊重して、何事も決めつけずにやれる人ならいいと思います。

―今後、こういう仕事したいとかありますか?

社有林や民間の山で、自分たちで計画できる山づくりを増やしたいですね。作業道を入れるところから始めて、伐採・搬出して、その後は植栽も。

道を入れることで、5年後、10年後、20年後も管理しやすくなるので、将来、そこで仕事する人にも喜ばれるんじゃないかな。

 

先輩インタビュー

なぜ東京チェンソーズに入社したのか? 仕事での楽しみは? 林業現場で活躍するメンバー2人、森と街をつなぐ最前線である材料調達班(販売事業部)、伐った木を活かす担当の工房長に、入社した動機や仕事の醍醐味などを聞きました。

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