2022.12.20

第81回 樹齢100年の丸太から歴史を辿る

青梅・成木地区の現場から出たスギなどの針葉樹。ほとんどが樹齢100年を超え、檜原より歴史が古いことが窺い知れます。成木は青梅市(東京都)ですが、かつては埼玉と繋がりが強かったそうで…
まずは現地で、販売事業部の吉田に聞きました。

―立派な木ですね。

確かに。木目が詰まってますね。

―樹齢はどれくらいなんでしょう?

100年、あるいは120年近いかもしれないですね。
この辺りの西川林業は、檜原より早く林業が盛んになったんじゃないでしょうか。

―西川林業とは?

江戸時代からの言葉で、江戸の西の方の川から来る木材ということで、西川材と呼ばれていたんです。

―西の川というのは荒川ですか?

そうですね。昔は荒川を筏で材木を流していたんです。その産地で営まれてるいるのが西川林業です。

―産地は?

飯能を中心にした、埼玉県の南西部です。

―檜原より古い?

檜原では100年を越える木はそんなにないですから、ここにある木を見ても、やっぱり歴史があるんじゃないかと思います。
檜原は戦後、70年くらい前から植えた木が多いですね。それ以前も針葉樹はあったと言いますが、広葉樹が多く、炭焼きが中心だったと聞いてます。

―成木は今は青梅市ですが、青梅林業ではないんでしょうか?

その辺、調べてみると面白そうですね。

※ 青梅林業:多摩川を利用した筏流しで木材を運搬。産地としては現在の青梅市や奥多摩町。

(成木は檜原に比べ樹齢の高い木が多い…。その背景を知りたく、林業事業部・加藤真己のお父様で、筑波大学名誉教授(農林業史)の加藤衛拡さんの元へ。加藤家は成木と隣接する下名栗(現・飯能市)で近世から山林業・材木商売、近代には製材業も営んでいた家で、衛拡さんは市の名栗村史編集委員も務めていました)

―まず前提としてお聞きしたいのですが、成木と飯能は林業的に同じ地域と考えていいのでしょうか?

流域が一緒なので、似てます。昔は木材を筏で流していました。成木川は飯能で入間川に合流するので(その後、荒川に)、同じ西川材です。

―そうなんですか。

江戸時代の筏仲間という組織や、明治になってそれが再編された同業組合があるように、筏の頃は一緒でした。
人の行き来も盛んで婚姻圏でしたし、成木の獅子舞がこっちに来て習い覚えるということもありました。

―関係が深かったんですね。

それが鉄道ができて、道路ができると、陸送されるようになって、分かれたんです。

※成木側には1894年以降、青梅鉄道(現・JR青梅線)が、飯能には1915年に武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開通。

―スギなど針葉樹はいつごろから植えてたんですか?

江戸時代ですね。1600年代の後半には造林してました。活発になるのは1700年代になってから。

―成木の現場に樹齢100年くらいの木が多いのはどうしてと考えられますか?

1900年頃、大正から昭和にかけて都市化が進んで木材需要が高まりました。

―はい。

江戸期からの木材がまず使われましたが、その伐採跡地や、それまでの薪炭林だったところがスギ・ヒノキに植え替えられたんです。
成木のような奥山では、その当時植えたものの伐採されず、残った木が多かったんですね。

(こうした歴史のある土地の木です。しっかり活かせるようにしたいです)

■素材データ
サイズ:(スギ)直径400mm〜600mm、(サワラ)直径400mm〜500mm、全長4000mm
樹種:スギ、サワラ、ヒノキ
状態:未乾燥
伐採時期:2022年11月

(取材後記)
飯能・成木地区の林業の歴史をお話しくださった加藤さんのお話はおよそ2時間続きました。とてもおもしろかったのですが、残念ながらここではほぼ書き切れず…。いつか別の場で紹介できればと思います。
最後に1枚写真を紹介して終わりとします。これは加藤家に伝わるかつての木材搬出現場での写真。当時は写真が珍しかったので、撮影するというと大勢集まったそうです(木田)。

この日記を書いた人

木田 正人

木田 正人

1966年生まれ。青森県弘前市出身。日本大学農獣医学部卒。雑誌記者など出版界勤務後、「人のため、地球のための仕事」をしたいと思い、林業を志す。東京チェンソーズ設立当初から森林整備と広報を担当。

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